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2016.05.18

バーテンダーの酒の日々 Vol.2

時は1980年代。東京の片隅にある小さなライブハウスで、一緒にチケット販売に奔走していたバンドが、メジャーデビューに向けて事務所に所属した。ゴリゴリのパンクバンドだった彼らは、半年後にはモヒカンをやめ、キャッチーなビートロックバンドになっていた。

俺達はバカにした。「好きな音楽を金に替えやがって」「堕落しやがった」。

1年後にメジャーデビューを果たしたそのバンドは、1枚のシングルと1枚のアルバムをリリースしただけで、事務所をクビになった。解散したはずのバンドと再会したのは、それから更に2年たってからだった。

「結局お前らは、大人に使われて捨てられただけだろ」

好きな音楽を捨てた彼らを、俺達は、又、なじった。

「俺達は俺達で、俺達をつくっていた」

その答えは、まさに青天の霹靂だった。

事務所に所属した彼らは、本物のプロになるべく、事務所のバックアップでレッスンを受けていた。何も知らずにただその時に好きだったバンドの真似事をしていた彼らは、毎日音楽と向き合っているうちに、本当にやりたい音楽を「自分達」で見つけていた。そして、事務所の売れる為のアドバイスに耳をかさず、自分達のスタイルを押し通し、事務所をクビになっていた。

クビになってからも、彼らは彼らの好きな音楽をアマチュアとして継続していた。

俺達はというと、一度の挫折でプロを諦め、そのままバンドを解散し、ギターもマイクも売っ払い、音楽から離れたがっていた。

久しぶりに聴いた彼らの曲は、プロを目指していたあの頃より、ずっとパワフルで格好良かった。「俺達もプロを目指してた」なんて言うのが恥ずかしくなるほどだった。


1990年代も終わりが近づいたある日、コンビニでその日本酒を見つけた私は、その場で、たじろいでしまいました。酒造り修行でお世話になった杜氏さんの、孫弟子にあたるその蔵元さんの日本酒は、清流の様な酒質で人気を博していたのですが、まさかコンビニで売る程の量を造る蔵になっているとは、想像もしていませんでした。ガッカリしました。

地酒蔵が、工場になっていく様で、大きなショックを受けました。

「あの蔵は、もうダメだ」

バーテンダーの私は、そんな事を口走っていました。

「ちゃんと飲んだ?」

酒の席で、訳知り顔で口から泡を出す私に、友人がそう聞いてきました。恥ずかしくなりました。俺は何を叫んでいるのだ。プロのくせに、何も知らないではないか。酒の席の帰り、コンビニでその酒を買いました。

清流の様なその酒は、以前と全く変わりなく、人気になっていたその理由が今も明確に表現されていました。

申し訳ない気持ちになった私は、翌日、久しぶりに、かの蔵元さんに電話をかけました。

「夢の一歩をかなえた事を、従業員達みんなと喜んでいます」

浅はかな私の顔からは火が出ていました。


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スコットランド、アイラ島の銘酒「アードベッグ」
「小さな岬」という名の銘醸所は、1815年に設立されました。

圧倒的な個性を持つ、ピーティーでスモーキーな、そのシングルモルトウィスキーは、「アードベギャン」と呼ばれる世界中のファン達に大きく支持されていました。

しかし、数奇な運命により、1980年代に閉鎖を余儀なくされてしまいました。「アードベギャン」達は、その運命に肩を落としながら、数少ない残ったアードベッグを探し続けました。やっと見つけだしたアードベッグには、高額な価格がつけられてしまっていました。私も20年程前に、8万円で買いつけた事を憶えています。

1997年、シングルモルトの大手「グレン・モーレンジ社」がアードベッグ復活にのり出しました。その噂を聞いた私の周りのバーテンダー達は、大手が商業的にのり出す事に大きな不安を感じていました。私も、その一人でした。

数年後のファーストリリースの日、すぐに買いつけ、不安のまま口にしました。

そして現在、私はアードベッグを飲む度に、訳知り顔で、何も知らずに否定ばかりする自分を、思い出すのです。

初心を忘れない様に求めるアードベッグ。今もアードベッグを求める日が少なくない私は、苦笑いの日々を過ごしています。

2015年12月にあうら橘入社。バーテンダー歴25年。
ワイナリー・酒蔵での酒造りの修行後、ソムリエ・利き酒師の育成にもたずさわる。
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